みなさんこんにちは、水谷です!

今日は、お休みを利用してコレヒドール島に行ってきました!

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上の地図のB地点がコレヒドール島です。(google mapより)

マニラからとても近い島で、船で1時間の距離にあります。

ここは第二次世界大戦の戦争遺跡が残っていることで有名で、ツアーが組まれています。

日本語ガイドが付いて、バスに乗って遺跡を回ることができます。

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ガイドさんは、このおじちゃんです。

日本語スキルは…まぁまぁ。笑

たびたび英語を挟みながら説明してくれました。

以下、印象深かった遺跡をいくつか紹介したいと思います。

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これはアメリカ兵の宿舎です。

コンクリート製なのですが、このコンクリートは日本のものが使用されています。

敵国のものを使用しているのは、

・日本のコンクリートの質の高さ

・地理上、アメリカから運ぶよりも日本から運んだ方が早い

という理由からです。

70年たった今でも、こうして形が残っていることから、質の高さは分かってもらえるかと思います。

 

これはアメリカ軍の大砲です。

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島にはあちこちに大砲が装備されていました。

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あちこちに弾痕が残されているのが、今でも確認できます。

弾は300~400キロの重さで、大砲の横には弾薬庫が備えつけられていました。

こう見ると、島中でサバイバルが行われていたのかと想像するのですが、

近代的な暮らしも垣間見れました。

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これは、路面電車の線路跡です。

島の中には路面電車が張り巡らされていて、これで移動することができました。

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これは電話ボックスです。

電話はもう残っていませんが、主要な建物には電話ボックスが備えつけられていました。

(ちなみに、蓋に空いている穴は、日本軍の銃剣で空けられた穴です。)

他にも、映画館があったりして、ひたすら戦闘のみを行っていたというわけではなかったようです。

しかし、その映画館はアメリカ人のみが入れる場所でした。

味方のはずのフィリピン人に対して、アメリカ人は差別を行っていたのも事実のようで、

食事内容にも差があったようです。

アメリカ軍と、フィリピン軍、そして日本軍には、生活レベルに差があったことが感じ取れました。

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これは、亡くなった日本兵の慰霊碑です。

真ん中にハスの花があり、まわりのハスの葉上に名前が記されています。

名前の上に年齢も記されていたのですが、17歳から27歳という若さでした。

まさに、私(21歳)の年齢と被っていて、今、私が戦地に行って、敵と戦うという状況を想像させられました。

 

最後に。今までの写真すべてに、緑が写っていますが、これは戦後ヘリコプターの上から種をまいたことによって生えています。

戦後直後は、緑も何もない島でした。

戦争はいったい、何を生み出したのでしょうか。

日本人にとって、非常に考えさせられる旅となりました。

 

水谷