どうも、リモンズインターン生のダニスです。

日本は以前として寒いみたいですが、こちらフィリピンでは寒いなんてことはおろか、どんどん暑くなっていくばかりだと思います。

 

そんな年中南国に暮らす私でありますが、実は留学先のフィリピン大学ではJapan Studies という授業を履修しております。何を学ぶかというと、日本の伝統文化、歴史、哲学、地理学等、一つの分野にとどまることなく幅広く日本のことを学ぶことができるプログラムとなっております。

その中で最近学んでいるトピックは、歴史。ピンポイントに捉えると、第二次世界大戦。もっと踏み込むと、日本、アメリカ、そして、フィリピン(米軍側)の三国による、『マニラの戦い』についてです。

 

私はフィリピンに留学に来る前は、このような出来事があったなんて知りもしなかった身であり、日本にいると、大抵海外から攻撃された被害者側の視点、代表的な例で考えると、世界で唯一の原子爆弾被爆国であるように、自分達は、敵から酷い目に合わされた、そんな認識が強いと思います。

 

しかし、いざフィリピンに来てみると、第二次大戦における日本という国は一転、愚かな敵国へと捉えることが出来るのです。

 

その事を痛烈に感じたのは、昨年にコレヒドール島と呼ばれる、マニラ湾からボートで1時間程で行ける、第二次大戦中の激戦地のツアーへ参加した時のことでした。

その地では、軍人によって作り上げられたトンネルや、軍人たちが使っていた宿舎の後、その他数々の骨格だけが残された建物。全てがそのままに取り残されていました。

そのツアーではガイドが必ず付くのだが、そのガイドは言いました。『我々はかつては被害者なのだ』

多くの日本人が無関係の人々を虐殺し、そしてアメリカの軍人も殺したのである。

そのガイドが帰り際に見せてくれた一枚の写真。

 

それは、銃剣を持った日本兵が矛先で赤ん坊の腹を突き刺しているものであった。

 

きっと写真だけではない、誰も知らない、その当事者にしか知らない事実というものがたくさんあるのでしょう。

 

 

そういえば先日、私は仲のいいフィリピン人と話していた。そいつはかなりお調子者で、いつも冗談まじりのからかいで笑わせてくるような人でした。

普段通り話していて、またいつものような調子で冗談のからかいが始まった。そこで放ったある一言が私の胸に深く突き刺さったのでありました。

『日本人は俺たちを支配した、植民地支配者だ』と言われたのです。

当然その友人は本気で言ってないのはわかる。

 

しかし、冗談でもその事実が出てくるぐらい、頭の中での日本人のイメージというのはそういう類のものなのだろう。要するにレッテルを貼られている訳であるのです。

 

非常にショックでした。

 

当然私たちの世代は、戦争を経験していないし、幸せなことに平和な世の中に生きています。

しかし、心の傷、国の傷、歴史が生んだ深い痛みというのは、そう簡単に治るものではないのでしょう。

 

歴史とは時に残酷なものである。

 

しかし、今我々は同じ時代を生きている。お互いがお互いの国をよく理解し、過去があるから今がある、というぐらいに相互理解ができる社会になっていけばいいのにと思います。

 

しかし、こんな事実もここフィリピンに来なかったら起こりえない事実であったと思います。

 

半年経った今でもまだまだ発見しきれないものです。。

 

というインターン生、ダニスの呟きでした。