こんにちは。

杉原です。

つい先日LimonzのドライバーのMarioにPaulというイングリッシュネームをもらいました。

Paul Sugiharaです。

 

任天堂に馴染みのある日本人からするとあまりにも覚えやすい名前な上に

Marioのあまりの渋さに僕は一瞬で虜になりました。

日本でいうところの「いぶし銀」ですね。間違いなく。

 

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こちらがMarioです。

渋さの中にある優しさが表情からこぼれ落ちます。素敵過ぎる。

 

今日は今までのフィリピンの良い所を紹介とは少しテイストを変えて、

自分なりのLimonzで働くということ、について触れていきたいと思います。

個人的な志望動機とか言っちゃいます。

 

【Limonzでインターンを志した経緯】

そもそも、海外でインターンをしたいと思い始めたのは、

決して遠い昔ではありません。2014年の10月のことです。

就職活動中(杉原は2014年5月から就職活動をしていました。)にお世話になっていた

キャリア系企業の人と就活生の合計30人くらいでお酒を嗜んでいた席でのことです

 

とある総合電機業界で人事畑を生き抜いてきた初老の方にお世話になっていました。

平均年収1000万円超えの企業での30年近く激務をこなし、50歳代になってから、

半分以下の年収で、たった3人の企業に移ったまさに挑戦の人生と言っても過言ではない彼。

まさに日本のいぶし銀です。

 

そんな彼が僕にこう言いました。

 

「若いうちに世界を見ろ」

 

その真剣な眼が、ありきたりな言葉に多くの深みをもたらしました。

その言葉はおそらく僕が想像できないような経験に裏付いていると直感しました。

 

それまで音楽も映画もmade in Japan大好きっ子だった杉原。

 

(この方が言うからには間違いなく海外になにかある。)

そんな思いで海外への興味を持ち始めました。

 

2015年3月末で就活を終えることを決めていたため、

その後社会にでるまでの1年間をどのように過ごすかが自分にとって大切でした。

 

ちょうど自分が内定を承諾した企業が東南アジアのマーケットを視野にいれており、

あちこちの説明会で東南アジアのマーケットが伸びていくことは人口統計に裏付けられた

限りなく正確な予想であると実感しました。

 

そんなこともあり東南アジアでのインターンシップを検討し始めました。

浪費癖があり、お金がなかったのも東南アジアというエリアを検討するのを後押ししました。

(やっぱり西欧に比べるとリーズナブル)

 

最初は日本のインターンでお世話になったベンチャー企業の社長にお願いして、

マレーシアで3ヶ月働こうとしましたが、英語力がなく、先方にインターンの受け入れ体制がないため断念。

半ば諦めようとしていた時に出会ったのが

 

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Limonzでした。

 

半年という長い期間、異国のベンチャーで働くということは予想外の連続です。

IT系の企業に就職する自分が不動産業界で働くという時点で全くの0からのスタートです。

 

就活の時に当たり前だったことが、

日本では当たり前だったことが、

昨日まで当たり前だったことが、

 

まったく異なってくるのがここフィリピンです。

 

 

それでもここで頑張ろうと思えるのはきっと自分の中にある

「人間の本質は変化である」

ということです。

 

Limonzは決して大きな会社ではありません。

しかし、扱うものはお客さんにとっての一生に一度の大きなお買い物。

 

少しでもお客さんに良い提案ができるように、

少しでもお客さんの手間が軽減できるように、

少しでも自分のした仕事で、今までのLimonzよりもいい状態になるように。

 

周囲の環境に合わせて

自分自身が変化に適応し、

最後には良い変化に周りを巻き込める

 

そんな人になれたらいいなと思ってます。

 

まだまだ働き始めて2週間、

ひよっこのペーペーですが

口だけの「ブルペンピッチャー」にならないよう日々精進していきたいです。

 

最後に、

真面目なこと書きすぎたので、

フィリピンのショッピングモールにあった最先端のおしゃれTシャツを載せておきます!

 

 

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次こそはフィリピンビールの飲み比べのことか、日本に旅だったスティーブ・コータローの話を書こうかな。

ではではまた。